第一回アシテジ未来ミーティング レポート(敬称略)

2020年9月10日(木)20:00〜22:00 zoomにて
テーマ「アシテジとは何か?何故世界と繋がるのか?」
講 師:世界理事の大谷賢治郎さん
    アシテジ世界大会芸術監督・総合プロデューサーの下山久さん
司 会:片谷茜
参加者:106名

第一回目は、《アシテジとは何か?何故世界と繋がるのか?》をテーマに、アシテジ世界理事の大谷賢治郎さんと、アシテジ世界大会芸術監督・総合プロデューサーの下山久さんにお話を伺いました。
片谷: アシテジって?世界大会って?改めて教えてください!
大谷:子どもにとって何をするべきかが常に中心にある熱い会議。
「児童青少年の演劇がどのような役割を果たすのか?」
「舞台芸術が、子どもたちの癒しになるのか?などなど。」
大会やフェスティバルがあれば、毎日8時間以上、長い時は10日間ほど会議を重ねます。
現会長のイヴェット・ハーディ氏は、南アフリカの方で、ヨーロッパ地域以外から初めて会長になった人。今は、理事の中でワーキンググループを作り、活動しています。
・プロモーション担当:広報。
・プロトコール担当:規則。
・パブリケーション担当:出版物
3年に1回の世界大会と、間の年のアーティスティックギャザリングを行なっています。
初回のギャザリングは、沖縄のキジムナーフェスタ(現:りっかりっかフェスタ)が開催地でした。
そこで初めて「マガジン」(マガジンのタイトルは「命藥」=Theatre for medicine.)を発行しています。
これは、英語と日本語の二ヶ国語で作り、英語のみではないマガジンはこれが初。
それ以降、ホスト国と英語の二ヶ国語でマガジンは作るようになりました。
http://www.assitej-international.org/en/assitej-in-the-world/the-magazine/
2017年南アフリカ・ケープタウンでの世界大会で、
次回世界大会を日本で開催することが正式に決定。
これまでは、やはりどうしても言語の問題が一つハードルになっていたが、世界大会をすることで、日本語で、世界の人たちと繋がれる大きなチャンスだと思いました。
自分は、海外に留学し、たまたま英語で演劇を学べた。その頃から世界と日本がどのように繋がっていけるのかに関心があった。また、自分自身が幼少期から演劇に触れていたことが、エンパシー、シンパシーを学ぶことに繋がったという実感がある。演劇の外交官みたいな仕事がしたい。ということに気づかせてくれたのがアシテジでした。
・2017年アジアフェス
・2018年インクルーシブアーツフェス
アシテジ世界大会の前に、この2つのフェスティバルを行いました。
インクルーシブ(※障がいの有無を問わない)は、当たり前。と思って育ってきた。
自分が子どもの頃、教室に必ず1、2名は障がいのある子ども、支援の必要な子どもがいるという環境が当たり前だった。ダウン症、目の見えない、耳の聞こえない子どもたちも当然一緒に過ごしてきた。その子どもたちと劇を作ったりもした。
そんなことを世界でもやれたら。という思いがある。
子どものための舞台は、当たり前。子どもの権利。これも当たり前。
「当たり前」がもう一度主導権を握るような社会を作りたい。
でも当たり前でない世の中において、当たり前をもう一度当たり前に。
未来のことを考えたフェスティバルに。
未来がどのようになるかわからないこの時代において、クリエイターができることは大きい。これを現実にしたい。
片谷:新型コロナ感染拡大防止で、うがい手洗いが当たり前になったように、これも当たり前になったらなー。
質問: アシテジマニフェストについて教えてください。
大谷:この状況の中で、アシテジインターナショナルでは、アシテジとしてマニフェストを作り、発表することとしました。
それに伴い、アジアでは、唯一日本だけがナショナルセンター主催でマニフェストを考える会議をし、日本の意見も大いに取り入れられたマニフェストが完成しました。
片谷: 下山さんが、日本の児童演劇以外で世界と結びついたきっかけは?
下山:
1985年に佐渡大祭典一回目があり、
1991年に、第二回子どものための舞台芸術祭典。佐渡祭典があり、そこに参加したこと。
「三人であそぼう」という芝居を上演したが、言葉のほとんどない作品だったため、佐渡に来ていたロシアアシテジの会長と事務局長により、ロシアのフェスティバルに招待された。
ちょうどその時、旧ソ連でクーデターが起こった。ゴルバチョフが軟禁されている。会長とダリアさんが真っ青になったことをよく覚えている。
ロシアのフェスティバルに初参加。世界の演劇との出会い。
その年の12月にロシアのフェスティバルに参加した。
それが初めて世界と知り合ったきっかけです。
ソ連がそんな状態(クーデター直後)にも関わらず、フランスからもイタリア、スペインからも参加者があり、作品を上演し、観劇しあい、交流していた。
そこで初めて世界の演劇に触れた。
ドッグズという作品を観た。ロシアの青少年向けの有名な演劇のようだった。
犬たちが主役として出てくるが、「飼い犬」と「野良犬」に分かれていて、「飼い犬」の背中に「ソ連」と書いてあった。衝撃。
子どもに向けたものでも、そういう色(政治的な)出すのだなぁ、、、!
それから、ロストフのフェスティバルが気に入り、次のフェスティバルにも参加した。
そこでイギリスのプロデューサーと出会い、フェスティバルの面白さを知った。
世界中の人が集まり、世界の人が作品を見合う場だということを知った。
言葉を使わなくても演劇ができるのだ!と思った。
世界の様々なフェスティバルに参加する中で、これを日本でもやりたいと思った。
1994年沖縄でキジムナーフェスタを立ち上げた。世界各国から17のカンパニーが来てくれた。
その後、バブルの崩壊で、金利が戻るまでフェスティバルは中断したが、2005年に再開。
沖縄は、那覇にコンパスをおいて回すと、東京と同じ距離で多くのアジアの国々が含まれるほど近い。
アジア14の国と連携をとっている。
2011年には1回目のアシテジアーティスティックギャザリング開催地に選ばれた。
フェスティバルのディレクターとして、様々な作品を見に行く中で、8カ国からなるカンパニーがあったことに驚いた。言語も様々だが、観ている側には、ちゃんと伝わってくる。
日本では、日本語の中で演劇をやっていたから、もっと表現を探さないといけないと思った。
アジアの子どもたちにこそ生きる力になるような舞台を
届けなければならないと思っている。
アジアは、一部の国を除いてまだまだこれから。アジアTYAネットワークというものも立ち上げた。
世界はとても狭くなっている。すぐに移動もできる。情報も共通に発信されるようになってきた。
子どもたちの置かれている経済的な状況は違うけれど、児童・青少年舞台芸術の交流の拠点になれたらと願っています。
フェスティバルを通して様々な国の文化と交流したい。
世界中が、舞台芸術を通して繋がることができたら素敵だなぁ!
質問: 日本での世界大会開催に期待していることは?
大谷:コロナの影響があるから、実際どうなるのだろうな?とは思っている。
ただ、逆手に取ると、逆境を乗り越えて開催することに意味がある。
2012年のギャザリングも前年に起こった東日本大震災を超えて開催した。様々なことを話し合う非常に大事な機会になると信じています。
下山:基本的には当然やります。
オンライン上演だったとしても、現地とトークを繋ぎ、互いの状況や考えを話し合い、交流することを考えています。そこで深い話になれれば。生きる勇気を届けられれば、と。
あらゆる人たちが一つになって世界につながっていける窓口になりたいですね。
辻野(茅野市民館ディレクター):茅野市は5万5千人の地域で、文化のあり方を15年間模索してきました。このことと、アシテジのビジョンとは全く重なるので楽しみです。
漆畑(子どもと文化全国フォーラム):海外のものを、親子で観たことがある。笑うところで笑うし、泣くところで泣く。その作品を呼ぼうとした大人たちが熱かった。
質問: 世界と繋がるという部分で、実際のフェスティバルの中で、各国のプログラムを観るだけでなく、参加者同士の交流プログラムはありましたか? また、今後交流プログラムを考えていますか?
大谷:交流プログラム考えています。
むしろ、今後交流プログラムがメインの活動になっていくのではないかと思っています。
芝居を観るということが、フェスティバルの中心に置かれることが多いですが、アシテジの場合、実践者(芸術の)だけではなく科学者と話すということもある。舞台芸術という分野を超えて、全ての「子どものための活動をしている人たち」とコミュニケーションをとり始めています。
そのうちの一つとして、アシテジ総会を行う際、「アーティスティックエンカウンター」というプログラムを行います。日本では、東京と長野の両方で行う予定で、創造者同士、児童・青少年に関わる様々な実践者が交流するプログラムを考えています。
コンテンツは、「未知なる未来へ」という大会テーマに基づき、世界理事を中心に考えます。日本語通訳も入ります。未来に向かっての会話をしたいところです。
質問: フェスティバルを継続的に運営し、子どもたちの様子を見ている視点からお伺いします。時代は変化し、子どもたちも時代の風を全身で受け止めていると思いますが、近年の子どもたちに特徴的な要素はありますか?
大谷:今はSNS世代。匿名でコミュニケーションをとっているのがデフォルト。実際、演劇的な体験をすることの重要性を、作り手側は謳ってはいるけれど。
海外のフェスティバルに行くと、よくクラスごとに子どもたちが連れてこられているのを見かけるが、引率の先生のリアクション(シーッ!とか)は世界共通かも。笑
久保田(サザンクス筑後):台風10号で、サザンクスは初めて避難所になった。100名の人が急に避難してきた。壁のコンセントを探し、常にスマホゲームをしている子ども達。ここでも分断されていると思った。こういう時こそ寄り添っていける機会ではあるのに。
近藤(こども劇場せたがや):基本はそんなに変わってはいない。環境によってかなり違うけれど、本当の姿は変わらないと思っています。でも、今の子どもたちは、色々なものに配慮しすぎている感じがする。
大谷:「ハンナのかばん」という作品を作り、ほぼ毎年学校でWSをしています。忘れられないのが、ある学校で「北朝鮮をやっつけたい」と小学1年生が言ったことです。「なぜ?」と聞くと、「北朝鮮が日本にミサイルを撃ってくるから。」と答えた。そこで色々と話をする中で、その子は、「北朝鮮にも同じ小学1年生がいて、親子や家族がいるのだ。」ということに、そこで初めて気がついた。今、メディアが伝えていることの子どもへの影響の大きさは計り知れないと感じた出来事だった。
中市(ベイビーシアタープロジェクト):本質は変わらない。置かれている環境で、見えてくるものは違うはず。絵本の読み聞かせを2歳児に向けて行なっている。比較的、貧困や虐待の話題がないような地域(適切な表現が見つからず申し訳ありません)でやった場合、子どもたちは、わからないことがあった時、前のめりに聞いてくる。また、複雑な課題を抱える地域でやった時、「まあいいや」と2歳児でも後ろにいってしまう。これでは、それから先の人生が全く変わってしまうことになる。それは、子どもではなく、大人と環境の問題。それは大人が変えていかなければならないこと。
椛山(前進座):子どもが小学生です。(新型コロナ以降)月曜日になると学校に行きたくなくなります。5年生になるまで皆勤賞だったのに、1学期学校に行けなかったことは大きいなと思います。また、1年生の子どもたちは、お友達ができずに困っています。みんなマスクをしていて表情がわからないからです。
3密を避けなければいけない現状ですが、3密こそが子どもの育ちに欠かせないのだなと思います。その役割が文化にあるのだなと。親が想像している以上に、子供はきつかったと思う。マスクをしているから、表情が見えない、顔が覚えられない。人は会って話して、いろんなことを感じ取りながら関係を作っていく。子どもを育てるのには、三密なくしては育てられないですよね。
近藤:学校支援をしているが、学校が、相当静か。1年生クラスに入っているが、元気がない静かな感じ。本質的には遊びたいはずなのに。
フリートーク
島田(アシテジ全国展開担当):コロナの問題はとても大きなこと。実際にはどのような公演、交流の仕方がいいのだろうか。2011年以来の大きな逆境を乗り越えたい。
後藤(劇団かかし座代表):3月開催は目前だが、それがあらゆる機会になると思っている。子どもをどのように捉えるのか。届ける作品をどうしたらいいのか。新たな人たちとの出会いなど。素晴らしい機会を目の前に、自分たち(創造者側)が大変な思いをしているところも多い。3月まで劇団が続くのかということも、今リアルにのしかかっている問題。なんとか生き延びて3月を迎えたい。
森田(アシテジ日本センター会長):大変だからこそ、記憶に残る大会になる。子どもたちの文化体験の原点になる話ができれば。これまでのフェスティバルでは、舞台を観ること自体が楽しかったが、今回はそれ以上に意味のある大会に。
そして、学校は静かじゃダメ。給食だって喋りながら食べるのが面白い。学校が始まって(コロナによる休校から再開し)、子ども達がこの環境に適応し始めている。これは、いい意味での適応なのだろうか?
大谷:大学でもオンライン授業。本当はインタラクティブなものにしたい。3月に向けても、オンラインでのイベントも行いつつ、話し合う場も作れれば。皆さんが考えていることも聞きたい。
下山:一番大変な状況なのは子どもたちです。彼らはそんなに表現はしないけれど。芸術や文化の力が必要です。子どもたちが生きるって素敵だなと思える舞台を1日も早く届けることです。
そして、世界と繋がってほしい。世界と課題を共有してほしい。世界には様々な考えがあります。ぜひ大会に参加してください。
 
記録:前村(アシテジ世界大会事務局・広報戦略室)